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十王堂  

土岐市指定文化財【昭和57年3月25日】十王尊

■十王堂の全景
十王堂の全景

十王堂にお祭りする十王尊像は江戸時代初期の作と伝えられ、閻魔大王(えんまだいおう)を中心に十体の各王と、閻魔王と対になる奪衣婆(だつえば)、浄玻璃(じょうはり)の鏡天秤がほぼ完全な形で保存されている。
十王は高さ約50センチの寄せ木造りで彫像され、朱、あい等の顔料による彩色が施されているが、部分的には剥奪が認められる。
十王は冥府(死後の世界)で、亡者の罪の重さを決める裁判官で、泰広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、太山王、平等王、都市王、五道転輪王の十神をいう。
十王思想は古代インドのマヤ神にはじまり、中国の道教と習合して成立したといわれ、わが国へは禅宗と共に平安末期に伝来した。
中国や朝鮮においては十王尊と地蔵菩薩が、冥府思想の中に現れ、わが国に伝えられて奪衣婆が誕生し、十王に本地仏が配体されるようになった。
十王と本地仏の関係は次のようになる。

初七日 泰広王   本地仏 不動明王
二七日 初江王   本地仏 釈迦如来
三七日 宋帝王   本地仏 文殊菩薩
四七日 五官王   本地仏 普賢菩薩
五七日 閻魔王   本地仏 地蔵菩薩
六七日 変成王   本地仏 弥勒菩薩
七七日 太山王   本地仏 薬師如来
百カ日 平等王   本地仏 観世音菩薩
一周年 都市王   本地仏 大勢至菩薩
三周年 五道転輪王 本地仏 阿弥陀如来

人が死してのち、未来の生を受けるに至らない亡者は、初七日に泰広王の裁判を受ける事に始まり、初七日より三周忌まで、各王による罪の軽重をさばかれる事になるが、生前に十王供養を行った者は、罪を軽くすることができるといわれ、十王の庶民信仰は根強いものとなった。

旧十王堂の老朽化に伴い、現在の十王堂は、平成17年3月25日全面改装し完成した。

御幸町十王堂保存会
御幸町

■十王堂の西横に建てられた立て看板
DSCF3405.png 
■入口から見た堂内の全景
Panorama1200x588.jpg

■左から泰広王、初江王、宋帝王
十王堂の木像-1

■左から五官王、変成王、太山王
十王堂の木像-2

■左から太山王、平等王、都市王
十王堂の木像-3

■上段左から弘法大師、閻魔王、奪衣婆(だつえば:三途の川原で死者の衣をはぎ取る役目)
十王堂の木像-4

■左から五道転輪王、虚空蔵如来、不明(無記名)
十王堂の木像-5

■十王堂内に下記の由緒書がある。
今ここに斎林一庵主。法名は閑散緩鉊雲(かんかんしょううん)と云う。仁澤内(じんたくない)に施し佛果に帰す。是の故に一日予に謂う「葢當国土岐口郷内に於て十王堂を創建せんと思う。」是は故に予は日世に答う。「一佛の造立でも無量無邊(むりょうむへん)の功徳があるという。況や(いわんや)十王将を建立すれば御利益の中でも特別の御利益がある」と謂う。
彼は唯、一礼して退く。爾来(じらい)、近邑(きんゆう)や隣里の善男善女の人々を勧化し捨集する所の資物を集め之に加うるに自身の浄財を抛捨(ほうしゃ)と一宇の當閣と并び(ならび)に十王像、一時に新しく落成した。庵主の志と願いが円満成就した。
冀(こいねが)はくば有後来る有道の輩(やんら)、重ねて之を修補して永くこの堂宇の漫滅至ら使むこと莫れ。
提至祷(ていじとう) 干時(かんじ)寛文十三癸丑(みずのとうし)仲冬(十一月)十五鳥(十五日)(一六七三)
現住職 廣徳黙叟(こうとくもくそう)書写
文字依没字(もじぼつじによって) 文政九年丙戌(ひのえいぬ)年写之(一八二六)

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